東京フルートアンサンブル・アカデミー
創設45周年 メモリアルコンサート
東京フルートアンサンブル・アカデミーと廣瀬量平(下段一番左)
演奏プログラム
マリンシティ(1980)フィガロの楽しき時代(1991)
パピヨン(1980)
パーラミターとカーダ(1980)Alto-flute Solo 野口龍
リスと踊るコロポックル(1998)
森のコロポックル(1996)1st.Picc.Solo 高久進 2nd.Picc.Solo 本田幸治
リチュアルダンス 典礼風舞曲「雨乞い」(1988)
午後のパストラル[編曲:山上友佳子] Flute Solo三上明子 (1985/2018)
《朝のセレナーデ》より 第一楽章(2003)
<甘き死よ来たれ>J.S.バッハの旋律による前奏曲、フーガ、終曲(1994/1995)Organ 広野嗣雄
プロフィール
指揮:青木 明・播 博◆出演者
播 博,青木明,植村泰一,野口龍,佐伯隆夫,佐野悦郎,中野真理,三上明子,高久進,崎谷直,崎谷美知恵,野口文子,前田有文子,古田土勝市,大石三郎,永井由比,吉田みのり,都村慶子,清水理恵,菊池かなえ,本田幸治
渡辺かや(ハープ),廣野嗣雄(オルガン)
◆東京フルートアンサンブル・アカデミーと廣瀬量平
1974年に創設。武蔵野音大フルート科で教鞭を執っていた、 播博、植村泰一、斉藤賀雄、佐伯隆夫、佐野悦郎、青木明らが、学生たちを批評するばかりではなく、我々もアンサンブルをやろうと、さらに共通の友人であった野口龍、気心のあった仲間や門下生(崎谷直、崎谷美知恵、清水信貴、高久進、三上明子、阿南文子、小林みのり、前田有文子、加藤千香子)で立ち上げたのが、東京フルートアンサンブル・アカデミーである。当初は小編成で演奏していたが、多くのメンバーが参加できる編成の曲が少なく、モーツァルトのディベルティメントを播博が、ロッシーニのソナタを青木明が編曲していた。そこで行き当たったのが、「フルートオーケストラ」という言葉をはじめて使ったケシック(当時、伊ミラノ音楽院のフルート科教授)の「祭(Fiesta)」という曲であり、これを12人でアンコール演奏したのが最初の「フルートオーケストラ」演奏となる。そして団長の播博がこの時の演奏テープを持って廣瀬を訪れ、委嘱している。既に少なくないメンバーとは個別の交流があって、この訪問はごく自然なものだったようだ。廣瀬は当時こう語っている。
「フルートだけのアンサンブルの音の美しさに驚いた。特に透明なハーモニーはすばらしい。これまでフルートを旋律楽器とだけ考えてきた私には、フルートだけのハーモニーがこんなによく響くのをはじめて知った。名手が集う東京フルートアンサンブル・アカデミーの演奏を聞いてのことである。」そして作曲されたのが、「ブルートレイン」(1979)であり、親しみやすいリズムとメロディなのに新鮮な音響と、旅情を映し出すこの曲は、二度のアンコールを伴うセンセーショナルな成功をおさめた。以来、比類のないサウンドは世界でも注目を浴び、この曲も編成も世界に広がり、今では古典とされる。これを演奏したいがためのフルート入門者は多い。
二作目「マリンシティ」三作目「パピヨン」と成功は続き、ヨーロッパ演奏旅行に向けて作られた、仏教的楽想と東洋的音響を持つ「パーラミターとカーダ」では、西欧人にも熱く迎えられた。その後アカデミーはオーストラリア、アメリカ、ヨーロッパなど数度の演奏旅行を行い、大成功を収めている。ほか、廣瀬のフルートオーケストラ作品は編曲も含めて20作を越えるが、その多くに委嘱役もしくは相談役として、遅筆で有名な廣瀬を励ましアドバイスした、畏友青木明とアカデミーの演奏力によるところが大きい。さらにフルート製作家でもある古田土勝市の手になる超低音バスフルートの開発は、作曲の前提になっていた。そうした名手揃いのアカデミーが演奏するから、というのが作曲のモチベーションだった。しかし、時には遅れに遅れ、アメリカに向かう飛行機の中で新作の練習をし、青木は指揮の難しさに、旅先で知恵熱に倒れたという。
団長の播博は、2011年8月に開かれた没後3年記念演奏会に向けて、出演者への呼びかけにこう書いている。
「質、量とも他の作曲家の追随を許さない廣瀬氏の作品は、現在では想像を絶する程の偉大な作品を数えます。フルートオーケストラの『Bach』、クーラウが『フルートのベートーヴェン』と云われたように、『フルートの神様』と云う言葉を、アカデミーから贈りたいと思います。」
記:廣瀬量平・事務所 廣瀬周平