ガボール・タルケヴィを知ろうパート1「幼少期」

今年はまた、夏の最高平均気温が更新されましたね...

地獄のような夏ももう直ぐ幕を閉じ、次の季節がやってきます。

暑さが過ぎ去った後やってくるのがお待ちかねのガボール・タルケヴィ

元・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団主席奏者の伝説的トランペッター…
彼のことをもっと知りたいあなたに!

 

今回は2012年に行われたインタビュー「Gábor Tarkövi Talks About His Career Path to the Berlin Philharmoic」*を抜粋翻訳しながら、彼の半生を振り返ってゆきましょう!

 

 音楽一家に育った経験を教えてください。

タルケヴィ:私はハンガリーのエステルゴムに生まれ、幼少期は少し離れたソーノクで過ごしました。

私の先祖は1786年にオーストリアとフランスからハンガリーに移住しました。そのため家族内ではドイツ語での会話が多くありました。

私の家族は音楽一家でした。祖父は町で最初の音楽教室を開き、1970年までウィンドアンサンブルを運営してました。父のシュテファンは、アマチュアのトランペット奏者でした。私の小さい頃、父はよく結婚式での演奏をしていて、一緒に行った記憶があります。

私は6歳から音楽を始めました。最初はピアノを2年ほどやりましたが、他の楽器がやりたいといって変えさせてもらいました。その時兄がトランペットを始めてたので、家族バンドのためといって私は強制的にクラリネットを押し付けられてしまいました。その後一年も経たない内にトランペットに転向し、10歳からは本格的にトランペットを学びはじめました。

 

子供の頃はどのアーティストを聴いていましたか?

 運良くキング・オブ・トランペットのモーリス・アンドレ**を4回ほど生で見る事ができました。彼の完璧で華麗な演奏に私は憧れ込み、トランペットが大好きになりました。

 

若い頃はお父様に教わっていたのですか?

 そのとおり!最初の講師は父と祖父でした。練習を始めて3ヶ月後には町のウィンドアンサンブルと演奏をしていました。14歳からはギムナジウム学校に通い始め、16歳になってからは1日中学校で練習をして週末は結婚式の演奏で埋まってたため1日12〜16時間も吹いていました。

その後はハンガリー人トランペット奏者のジェルジ・ガイガー***に指示してもらいました。

 

入門時のオーディションはどんな様子でしたか?

 35人ほどがオーディションに参加していましたが、生徒の募集は一人だけでした。オーディションの最初はスケールやエチュードを要求され、オスカー・ベーメ、テオ・シャルリエ、ワシーリー・ブラントのエチュードを吹いた記憶があります。それをやり終えたのち、最後に3曲演奏しました。

それが 《伝説 (エネスク)》、ネルーダの《トランペット協奏曲 変ホ長調》、とアルビノーニの協奏曲**** でした。30分ほどの長いオーディションでしたが、最後の曲を吹き終わった後、私を選んでくれました。

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…インタビューはまだまだ続きますが、今回はここまで!

まさかクラリネットかデビューだったなんて知りませんでした。親子兄弟揃ってみんなトランペット一家だったんですね!!

 

次回もまたお楽しみに!!

 

* "Gábor Tarkövi Talks About His Career Path to the Berlin Philharmoic BY MARK DUIN" 聞き手:ラグレインジ大学教授マーク・ダリン
 当該記事はGábor Tarkövi個人サイトからアクセスできます。環境によりアクセスできないこともあります。
(https://www.tarkoevigabor.com/gabor-tarkovi-talks-about-his-career-path-to-the-berlin-philharmonic/)
** Maurice André:パリ音楽院卒業の翌年にパリ国際音楽コンクール優勝、1955年ジュネーヴ国際音楽コンクール優勝、1963年ミュンヘン国際音楽コンクールを果たした伝説的トランペット奏者。セルマー社と協力してピッコロトランペットの作成にも関わった。
*** György Geiger:リスト・アカデミー在学中にブダペスト国立歌劇場管弦楽団の首席トランペットを4年間務めた後、ハンガリー放送交響楽団の首席トランペットを務める。1980年にフェレンツ・リスト賞、現代ハンガリー音楽への貢献に対してハンガリー・アルティスユス賞を受賞。
****トランペット協奏曲 変ホ長調かオーボエ協奏曲 ニ短調 Op. 9, No. 2の編曲かは不明

 

 

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